黒部・上ノ廊下「激流・背水の陣」 丹波山岳会平成20年8月27日〜30日 メンバー=小滝・方山・(須藤:神戸岳志・青谷:神戸山岳) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
27日・立山駅(6:00)→室堂(7:20)→黒部ダム(8:35)→平の小屋(11:20)→奥黒部ヒュッテ(14:45)→口元ノタル沢先(19:10) 28日・口元ノタル沢先ビバーグ地(7:00)→上ノ黒ビンガ(10:00)→金作谷(12:00)→赤牛沢1つ手前の沢台地泊「標高1700m地点」(16:00) 29日・11:00まで停滞(11:00)→岩苔小谷出合(12:00)→立石奇岩(14:15)→B沢(18:00)→薬師沢小屋(19:30) 30日薬師沢小屋(8:40)→太郎平小屋(11:10)→折立(14:25) 27日午後6時30分、決断の時が来た。口元ノタル沢上流のゴルジュ最後の右岸激流が抜けれない。下ってビバーグか無理して進むかである。あたりは薄暗くなり増水気味のゴルジュは互いの会話が聞き取れないほど唸っている。何回か飛び込むが水流が強すぎて押し戻されてしまう。ロックハンマーを投げ上流支点を何回か試みたがどうしてもいい場所まで投げれない。右岸のスラブは上のほうまで続いているが悪そう。ふと前方のスラブを見る高さ2m程のかなり低い位置に残置ハーケンが見える。先が見えないが一か八かでリードロープを伸ばしてみる。3mほど登り上流に7mほどトラバースしボロボロのハーケンを頼りに下降を試みる。ビレーヤーと会話が出来ないので無理矢理ロープを折り返してダブルにして腕力でクライムダウン。水流から約1mの高さに逆層のステップがありここをスタンスに抜け口の岩に大股を広げて飛び乗りを試みるが墜落。真っ暗になりかけた激流の上ギリギリのところで腕力で止る。体制を整えて再度気合を入れて大股開きのジャンプ。危機一髪で抜けることが出来た。ロープを抜き残置カラビナとさよならをする。後続は暗くてよく見えないがライフジャケットにロープをくくりつけて下流に流しこのロープで激流を乗り切ってもらう。 このゴルジュを抜けると左岸に快適なビバーグ地があるようであるが、激流のため渡渉不可であり岩ゴツゴツ地獄の上さらに落石と増水の危険地帯でのビバーグとなった。幸いと言うか当然と言うか誰もこんなところでビバーグしない為に流木の巣であり豪快な危急時応急焚き火を起こすことが出来心を休めることが出来た。ただしトップを行ったゴンチャンはあまりの無酸素運動のため吐き気を催しそそままデコボコテントで撃沈。 本編 27日午後1時頃、平ノ渡しにて右岸に渡った後適当な沢でソーメン昼食1時間。午後2時30分奥黒部ヒュッテ到着。到着前に東沢を渡った時その水量の多さが気になる。ヒュッテのおじいちゃんにそのことを聞いてみると「そういえばさっき東沢の傍に行った時多いように思ったなー」とまるで呑気な応答。これは話にならんと本流の事は聞かないことにした。 午後3時ごろ黒部川上ノ廊下本流遡行開始。入渓してのすぐの広い川原の渡渉で思った以上に水流が強く「今回は手強いなー」と感じる。 午後5時ごろに下ノ黒ビンガに到着。ここは、泳ぎを交えたややきつい渡渉とヘツリで難なく抜けるがいくら進んでも本日のビバーグ適地が見当たらない。右岸から流れ込む口元ノタル沢を横切る時には何度も泳いでいるので寒さで体が震え始める。さて、ここからが序編で書いた地獄の始まりであるが、実はここは左岸に巻き道があり、しかも巻き道を越えた左岸にビバーグ適地があることはトポで記憶していた。しかしそれを選ばなかったのは最後の詰めがあんなにきついとは思わなかったからである。これを書いている今、翌朝にそのゴルジュを眺めながら昨夜の反省をしたことと快い達成感もあわせて抱いたことを覚えている。 28日午前7時ごろビバーグ地を後にする。天気は良好。水量は昨夜よりやや減っているが岩のシミから判断して平水よりも7cmくらい高いようである。黒五跡の川原に差し掛かった頃雨がポツポツ降ってくる。ロープを使用した渡渉を何回か行って午前10時頃上ノ黒ビンガに到着。右岸からの花崗岩の滝が美しいがそれにしても水量が多い。上ノ黒ビンガの川原は所々石が顔を出しているがほぼ全面に渡って水流が出ている。 12時前に金作谷を通過、谷は雪渓で埋まっており谷の上の方まで続いているのが見える。金作谷辺りから水量が増え始め、普通の渡渉にかなり神経を使うようになる。金作谷からしばらく進むとゴルジュとなる。何回か厳しい渡渉で右から左に激流が流れ込む淵に辿り着くがこの先が進めない。左岸の被った壁をヘツリ7mほど回り込んだところでなけなしのハーケンを打って更に進んでみるが最後の逆層の垂直壁はどう見ても通過することは出来ない。10年ほど前に来た時ここは鼻歌交じりで簡単に通過できたことを思い出しながら、ハーケンに素通ししたロープ頼りに敗退する。戻って右岸の草付を高巻きし15m滝のカンテ状のところを懸垂で降り立ち、この先の淵も右岸を巻いて懸垂で通過する。 午後4時、地形図で標高1692m地点の上流約200mにある台地から更に50m程進んだ平坦地でビバーグ。ここは平水時の水線から約3m程の高低差があり安心出来そう。ビバーグ跡も有りそれに伴って流木が少なくなっている。夕食までに食材のイワナをと竿を出すがぜんぜん釣れない。しかし餌をバッタに変えたとたんガバッと尺以上が来たが細いハリスではひとたまりもなくプッツン。夕食も順調に進み出した頃遠くで雷が鳴り始める。この頃、愛知県では平成20年8月末水害と災害名が出るほどの大雨で鈴鹿山脈の藤内小屋もこの時に被害にあっている。この続きの前線が北方向に伸びていたのが我々が聞いている雷鳴であった。「どうせ雷雨程度ですぐ止むやろ」と言っているうちに激しい本降りとなる。午後7時ごろテントに入り激しい雨音を聞きながらウトウトして午後10時外の様子を見ると隣のテントが枝沢からの越水で水没状態。「青ヤン大丈夫?」と声をかけるとOKとの返答有り。 29日午前2時、本流をヘッドランプで照らすと濁流状態。水線がテント近くまで来ている。スッチーとこのまま降り続いたら右岸から赤牛に抜けて高天原まで薮漕ぎやナー「エライコッチャ」などと言って作戦を練った。午前3時、雨が小康状態となり、夜が明けるころには雨が止んだ。午前5時30分水位を見るととてもじゃ無いが遡行不可能な状況。とりあえず雨が止んだので様子を見ることにする。午前8時水位が下がり始め、11時には何とかなるんじゃないかと言うところまで下がったので遡行を開始する。 渡渉が出来ないので殆んどの淵を巻きで通過しなければならず懸垂のオンパレード。岩苔小谷出合の上流の大淵は右岸の水流を泳いで突破。その先のゴルジュはどう見ても突破できるように見えないので1時間半を要する右岸の大高巻きとなる。 ゴルジュを抜けると川原となるが立石を通過するためにどうしても左岸に渡らなければならず、流され覚悟の恐怖の渡渉を行って何とか立石奇岩まで辿り着くことができた。この頃には再度雨が降り出しどう見てもまたまた水位が上昇している。今日ここでビバーグすると明日増水があったら薬師沢まで辿り着くことが出来ないと判断し、引き続き遡行を行うこととした。 普通、立石を過ぎると困難なところはないとの表現が多いが今日はまた別格なのか、ロープを駆使してもギリギリの渡渉ばかりで神経が磨り減るし、雨模様の寒い中「これでもかー」と言うほど泳がなければならず、寒さと水流に翻弄された。 午後6時、最後の試練が待ちうけていた。C沢付近でどうしても左岸に渡らなければならないところがある。しかしどこを見ても渡れるようなところがない。ここは濁流が巨岩の間を縫って走る危険地帯、ここで焦っては事故を起こすことが十分に考えられる。あれこれ考えるがやっぱり渡るしか方法がない。どこも水深が身の丈ほど有りしかも水流が早い。できるのは泳ぐことであるが失敗すれば流されひどい目にあうに違いない。決断である。幅5mほどの激流で水深が1.5mほどの岩間の流れの中に一箇所だけ岩が出っ張って水深が1mほどになっているところがある。上流から支点を取ることができない地形であるため真横からのロープのテンションでバランスをとり思いっきりジャンプして2m50cmほど先にある水流の中の石に足を突っ込む。上手くその上にスタンスを置く事ができたが水流で下腿部が持っていかれそうである。さらに左岸目がけて飛び込み岩にしがみついてまたまた危機一髪で渡り終えた。全員ホッとしてこの先にある巨岩を右から回り込んでフト大淵を覗き込むと40cm前後の大イワナが群れている。数の多さに驚くがその勇気にも驚く、人が近づいても悠々としている。スッチーはその中でも60cmはあろうかという特別大きいイワナを見ていたく感心したようである。 時間が午後6時を廻っており暗くなるまでに薬師沢小屋に着きたいので先を急ぐこととするが、またまた難関に遭遇。通常右岸を巻いて懸垂で降りそれでおしまいとなるところが今日は水流が多いため微妙なヘツリで抜けなければ激流に飲まれてサイナラと言うような状況である。ボルダー5級くらいのところを荷物背負って何とかトップが抜け後続はロープ確保で抜けることができた。ここを抜けまたまた微妙な渡渉で右岸に出てヘロヘロになって大東新道を使わせていただいて午後8時前に無事薬師沢小屋に到着。この時、愛知県の大雨のニュースが流れていた。今回は通常遡行不可能な水量だったと思う。しかしパーティーに恵まれいろんな知恵を出し合って無事遡行できたことがとても幸せであった。 |
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|